由緒・歴史・守り仏のご案内|岐阜県岐阜市のお寺「金粟山 大龍寺」
由緒
当山「金粟山 大龍寺」は約千三百年の歴史を持つ、山々とドウダンツツジに囲まれた岐阜県に位置する臨済宗、妙心寺派のお寺です。
ご本尊にはお腹に大きな帯を結んだ腹帯子安観世音菩薩をお祀りし、「安産、子授、子育て、虫封じ」等、多くの胎児安泰のご利益をお受けいただくことができます。
また、守り仏である達磨大師の分身である祈願だるまには「商売繁盛、学業上達、祈願成就」などにご利益がございます。
大龍寺にまつわるたくさんの歴史を巡りながらその物語を知っていただき、そして是非一度お寺まで足をお運びいただけたら幸いです。
大龍寺の歴史
1300年の歴史を持つ
岐阜の山々をいただくお寺
大龍寺は今からおよそ1300年前に、
人王41代持統天皇の御代鎮護国家のために開かれたと伝えられています。
約500年前に一度は荒れ果て廃寺同様になった当寺ですが、
瑞翁禅師が復興の意を込めて達磨大師像を祀り、
不屈の精神で祈りを行ったことで、その願いが果たされ今でも達磨大師を「守り仏」としてお祀りしております。
大龍寺の盛衰を見ると、
そこには歴代の住職達や檀信徒の方々の大いなる尽力があり、
今までも、そしてこの先も永く継承すべき大切な想いがあります。
後白河法皇
創建開山・瑞翁宗縉
持統天皇の御代に創建
後白河法皇
大龍寺の始まりは約1300年前、持統天皇の時代まで遡ります。
ご本尊である腹帯子安観世音菩薩は後白河法皇により安元元年(1175年)に胎児安泰の勅願所として安置された霊尊です。
故に、安産や子授、子育のご利益を求め、近里・遠方関係なく多くの方にご来山、参拝いただいております。
- ご本尊
「腹帯子安観世音菩薩」
復興の達磨大師像
創建開山・瑞翁宗縉
今から500年前、長らく隆盛を誇った当寺も廃寺同然に衰微した時期がありました。
その頃、全国遍歴の途にあった瑞翁宗縉が当寺に立ち寄られ、その荒廃ぶりを悲しみ「なんとしても復興せねばならぬ」と意を固められ、それまで真言宗であった宗派を禅宗に改めました。そして、京都より身につけてこられた達磨大師像をご本尊の傍らに祀ったところ、その願い叶って復興と相成ったのです。
それ以来、大龍寺の守り仏として大切にお祀りされています。
- 達磨大師坐像
守り仏
ご本尊
腹帯子安観世音菩薩
約1300年前に後白河法皇より胎児安泰の勅願所として安置された霊尊です。
お腹に類を見ない大きな帯を結んでおり、そのことから安産祈願、子授、子育など、主にお子様関係のご利益があるとされており、日々遠方からも多くの方々にお参りいただきます。
優しく注がれるその眼差しは、母性の御心をまさにそのお姿で体現されています。
達磨大師
約500年前、全国遍歴の途にあった瑞翁禅師により、荒れ果てていた大龍寺に復興の意を込めて達磨大師像が持ち込まれました。
境内には、その500年経過を記念して大きな達磨大師坐像をお祀りしています。
禅の初祖とも言える達磨大師の分身である当山の祈願だるまは、日々当住職がお祈りを行い、皆様にお受けいただいています。
地蔵菩薩
当山には「地蔵堂」があり、そこにお祀りされている地蔵菩薩は水子様の守り仏とされています。様々な理由でこの世に生まれてこられなかったお子様や、長く生きることのできなかったお子様と、そのご家族様のために供養をしております。
大龍寺の地蔵堂は、いつも子供達の大好きな風車やお菓子で溢れています。
岐阜県重要文化財
狗子仏性図
仙厓筆 画・賛
白沢図
白隠画
老子騎牛図
仙厓筆 画・賛
白衣観音図
白隠画・賛
白隠慧鶴八十三歳の作
大龍寺第二十三世住職 寺町宗峰
住職から皆様へ
まず、当山とご縁を結んでくださいまして、誠に嬉しく、感謝申し上げます。
大龍寺はドウダンツツジに囲まれた静かなお寺で、春と秋には特に美しい景観をお楽しみいただけます。
私たちは、かつてそうであったように、普段の生活の中でふらっと立ち寄れるお寺でありたいと思っています。
お参りをし、仏様や観音様へご挨拶をして、感謝の気持ちを伝える。そんな「参拝」という文化が習慣となり、お寺がもっと皆様に近い存在となりますように。
皆様と平和と安寧の日々を過ごせますよう、お祈り申し上げます。